ドアの向こう側

今頃はホリエモンも黙秘しているのだろうか?
16日の強制捜査以後、めっきりメディアへの露出が減った同氏だったが、昨晩ついに逮捕された。本日付でライブドア株は監理ポストに入り、臨時の取締役会では解(辞)任は余儀なくされ、株価の下がった今では他社に買収されかねない危険性も孕んでいる。株主代表訴訟の可能性もあり、フジテレビも業務提携の解消、損害賠償の構えを見せているこの状態は四面どころか5,6面楚歌と言えるだろう。
'97年8月「オン・ザ・エッヂ」は当時4人でスタートしている。
東大の学生だった彼らは、それぞれがバイトとしてWebデザインやプログラム等を手がけていたが、そのうち理不尽な扱いに嫌気がさし、自分達で起業しようと考えた。その中の一人に有馬さんがいた。彼女は東大生が講師を務める塾での出会いをきっかけに後の「オン・ザ・エッヂ」に加わっていた。今でも堀江氏の出発点として語られている「友人にお金を借りて起業した」というのは、有馬さんの父が学生だった彼らに600万を提供したことからきている。
それから有名人のサイトデザインを手がけたことをきっかけに会社は順調に成長し、やがて株式会社へ組織変更。堀江氏は社長、有馬さんは取締役として経理・総務も兼務していたが、'00年4月、同社が東証マザーズに株式上場を果たした時の会見の映像には、右手に宮内livedoorCFO、そして左手に亡くなった野口エイチエス証券VPが映っているが、相容れず袂を分かった彼女の姿はもうそこにはなかった...
それから、'02年10/31に民事再生法を適用したプロバイダLivedoorを11/29に取得。'03年4月にオン・ザ・エッヂからエッヂへ商号変更。さらに'04年2月にエッヂからLivedoorに商号を再変更。そこから先は既に前回触れたとおりである。
筆者の個人的な感想を述べるならば、同い年でしかも同業者でもある彼に、ある意味羨望を感じてすらいた。周りから白眼視されながらも旧態依然の球界、メディア、政界にも影響を与えた行動力は、賞賛されるべきものだとも思っている。彼はこうも話していた。「無くなればゼロに戻るだけ」だと。あれから約10年・・・急ぎ過ぎた代償は大きかったようだ。

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